2014年11月29日土曜日

平河町ミュージックス第30回 西陽子 SPIRIT OF A TREE ~YOKO NISHI KOTO CONCERT~ を聴いた

公演前夜
箏曲家 西陽子が3つの箏の響きをたしかめていた。
「音が空間に段々なじんで、明日になればもっと良い響きになります。
新品の箏は、よく響くように、持ち帰って鳴らします。」
そう言いながら、3つのうちの1つの新しい箏は持ち帰っていった。





開演
ちいさな打楽器の金属音と木々のざわめきのような音が静寂を打ち破り、
やがて、十七絃の旋律が一気に空間を包んだ。
西の生家に近い熊野三山は、かつては、森も神も人も音も、
すべての境界のない世界が広がっていた。
そこに降り立ったとき、何を感じ、箏でどう表現するだろう。
そこに作曲の原点があると西は記している。
「あさもよし~木々楽(きぎのあそび)~」(改訂初演)西陽子作曲




ゆったりとした江戸時代の響きではじまった箏曲に
途中から唄いがかさなる。
白楽天の長恨歌が題材になった歌詞は、
楊貴妃と玄宗皇帝の物語。
西は唄うとき、楊貴妃の愛したライチや花の香りを思い浮かべるという。
「秋風の曲」 光崎検校作曲 







それぞれの箏曲は念入りなチューニングからはじまる。
そして「演奏中も調絃をしながら弾く不安定な楽器ですが、
そこが自由で、自分の響きの良いところに絶えず直しながら弾くことが、
難しくもあり楽しいところです。」
と語りながら線香花火を表現した曲を奏ではじめる。
「線香花火」 宮城道雄作曲






蜂の翅音を箏の超絶技巧を駆使して鳴らす。
くまんばち がうまく飛べる時と、飛べない時があるそうな。
今宵は元気よく翅音を鳴らしながら空高く飛び回った。
絃の上を高速で飛び回る西の指先は写真では捉えることができない。
「くまんばちの冒険~リムスキー・コルサコフへのオマージュ~」 西陽子作曲







休憩のあと
長い調絃を終えて、
西の指が絃に触れた途端、
細やかな音があふれ出し、
聴衆はふたたび美しい響きの中に引き込まれる。
「楽」 沢井忠夫作曲 






「京ことばの語りのような唄いに、
鹿が駆けていく足音、鹿の鳴き声を箏の音で寄り添わせて、
風景の中にものがたりが移ろう不思議な世界を表現します。」
と語り、唄いはじめた。
「鹿(のうた…」 藤井貞和・詩/ 高橋悠治・曲








月は欠けても月のかたちが想像できるように、
音が欠けていくのに
欠けたところも音の残像で全体が想像できる曲が創りたかった。
そう言う西が、このコンサートのために書いた箏曲。
「ことのなごり」(新作初演) 西陽子作曲







拍手が鳴り止まなかった。
アンコールは、
西が上海万博のソロコンサートのために創った曲。
沖縄の海で、月から放たれた光が、
海にまっすぐのびている様子に心打たれ、それを音におきかえた。
波先が砂浜や岩にゆっくり打ち寄せてはかえす。
おだやかな波は、ときに激しく砕け、月の光に白く輝くしぶきが宙を舞う。
そんな情景が浮かんでくる。
聴衆は西の指先が弾き出す波に打たれ、漂った。
鳥肌が立った。
「月夜の海」 西陽子作曲


「奏でながら、響きの良いところをさがし、つねに絃をなおして、弾くこと。
不安定な楽器ゆえに難しいが楽しい。」という言葉が耳に残る。
確かな技に裏打ちされた古典箏曲から、
さらに幅のひろさと豊かさを秘めた現代曲にいたるまで、
不安定な楽器をあやつる西の指先から湧き上がる響きは、
聴衆をしっかりとらえ、その心をもあやつった。






記憶に残る響きに満たされた夜だった。
 










平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近










2014年11月15日土曜日

平河町ミュージックス第29回 西江辰郎&上森祥平 デュオの夕べ を聴いた

公演当日の昼下がり
西江辰郎がヴァイオリンを、
上森祥平がチェロを携えて、会場に現れた。
開場直前まで、
お互いの音色を丹念に確かめ合っていた。






開演
バッハの旋律が空間を一気に支配する。
書ける音をすべて書き込んだと言われるバッハを
全曲演奏することがある上森は、
その音楽には多様性の豊かさと、
その中から立ち昇る「理」の力が見えると語っている。
ヨハン・セバスティアン・バッハ/2声のインヴェンションより




バッハに対して、
モーツァルトはシンプルな音だけで、
あらゆる事象や心理を表現し、
それらすべてが無垢な輝きを放つと言う。
穏やかに流れるようなモーツァルトの音色に
聴衆の体がかすかに揺れる。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト/
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 変ロ長調K.424
(ヴァイオリンとチェロ版)



静けさを打ち破るように激しい旋律が、2台の絃から弾き出される。
2台の絃のあいだを響きが勢いよく駆け巡るようだ。
数少ないヴァイオリンとチェロのための楽曲の中から、
西江が、ある大学図書館でようやく見つけた楽譜が、
聴衆の目前で、緊迫感にみちた響きに変えられていく。
アレクサンドル・チェレプニン/ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲OP.49
休憩のあと、
ドラマチックな響きが白い空間を満たす。
日本と同じ五音音階を含むハンガリー音楽や、
日本の民謡の影響が根底にあると言われる旋律は、
聴衆の耳に迫力と親しみをともない迫ってくる。
ゾルターン・コダーイ/ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲OP.7



大きな拍手が鳴り止まない。
アンコール。
西江が、上森にバッハのチェロ曲をもとめ、
舞台の脇に身を隠した。





舞台上に残された上森。
そして
バッハの無伴奏チェロ曲が流れる。

美しい。






鳴り止まない拍手の中で、
二人で2曲目のアンコール曲を弾き、
弓を置いた。








渾身の大曲を弾き終えた二人が見せた
この笑顔









それぞれ、日本を代表する演奏者である西江と上森。
傍にいると、
包み込むような穏やかな人柄と、
音楽に対する真摯な姿勢、
そして、何よりも若さが放つ勢いが心地よい。
個性的なプログラムが、ふたつの絃の響きによって
さらに輝きを増した・・・そんな稀有な デュオの夕べ であった。







平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ  木村佐近

2014年9月20日土曜日

平河町ミュージックス第28回 荒井英治 無伴奏ヴァイオリンの夕べ を聴いた

公演当日の昼下がり
ヴァイオリニスト荒井英治が絃の響きを確かめていた。
同伴した奥様と穏やかな会話を交わしながらも、
自身と向き合うように、集中していた。






開演
弓が絃の上をはしり、ゆるやかな音からはじまった旋律は
やがて、渦をまくような音の数々で空間を支配した。
荒井の言葉を借りれば、ヴァイオリンの持てる響きを駆使して
「客観性の中に狂気が垣間見える世界」が展開される。
エサ=ペッカ・サロネン作曲:Lachen verlernt2002








荒井が中二階に消えた。
天上から舞い降りる音を聴衆が息をひそめて聴き入る。
ひとを圧倒する響きではなく、民族楽器に立ち返る訳でもなく、
しかし、なにか、ひとの思いを伝えようしているかのような不思議な音たち。
客席で作曲家高橋悠治も その音たちを追いかけていた。
高橋悠治作曲:慈善と病院の白い病室で私が version A1989






中二階から戻った荒井のヴァイオリンが激しく唸りだす。
「不特定多数に向けての音楽の伝達ではなく、
個人から個人に伝えられる内面的な、人の本能を揺さぶる旋律」
と荒井はプログラムに記している。
そして、その響きの中に自身を投じて、深い音の世界で、
荒井は作曲家と向き合っているように見えた。
クルターク・ジェルジュ作曲:サイン、ゲーム、メッセージ(19872004)より






幕間のあと。
難解な曲目解説とは裏腹に、
荒井の絃が弾きだす響きが、
伸びやかに、うねり、自在に空間を飛び交う。
まるで、なにかを語りかけているように。
演奏を終えた荒井からの拍手に、高橋悠治が満面の笑みで応えた。
高橋悠治作曲:「狂句逆転」(柴田南雄「歌仙一巻」no.59による)(2014初演




弓をおいて、ヴァイオリンを指でかき鳴らしはじめた。
ユン・イサンの音は、「血肉化された人間の声そのもの」と言う荒井は、
装飾として加えられた音を切り分け、音の本質に迫ろうとしているのか。
荒井は何かにとりつかれたように、全身で弓を操り、絃を震わせる。
音で何を伝えるのか、他者とのかかわりの中での音楽の意味を
自身の演奏の中で、探し続けているようだ。
ユン・イサン作曲:コントラステ (1987)





さいごに、
美しいバロックの小品をアンコール曲に加え、
弓を置いた。







 「気安く音楽が手に入り、なんの抵抗もなく享受される日常の中で、
音は何のためにあるのか?音楽は何がどれだけ必要なのか?」
プログラムに記されたおびただしい荒井の文章の行間には
何が込められているのだろう。






そして、演奏家として日常的に音楽に囲まれながら、
荒井の見つめる先には何が見えているのだろう。
荒井のヴァイオリンから湧き上がる響きに圧倒されながら、
その深い思索と 音 の間を揺れ動いていたひとときであった。





平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近







2014年7月19日土曜日

平河町ミュージックス第27回 大岡仁&植村太郎  ベルリンの響き  を聴いた

公演の前々日、
ベルリンから一時帰国した大岡仁と植村太郎が、
お互いの響きを丁寧に確かめ合っていた。
それは昼下がりから夕方まで、5時間余にも及んだ。





開演、
ヴァイオリンの絃に弓が触れた瞬間、
二人がベルリンから持ち帰った響きが、
一気に空間にひろがり、聴衆を包み込んだ。
6つのカノンソナタ/ テレマン作曲




二人は関西と名古屋で生まれ、
各々、国内外の大きなコンクールで優勝を経験し、
その場面や勉強会で幾度と出会い、
そして、いま偶然にもベルリンの空の下、
それぞれ目と鼻の先に住んでいる。
二人が、その奇遇について語った。





2台のヴァイオリンがふたたび響きはじめる。
彼らはリハーサルで、
スコアの解釈について何度も語り合い、
微調整を加えていた。
その積み重ねが つややかな響き となって現れる。
2台のヴァイオリンのためのデュオ ニ長調作品67-2/ シュポア作曲


次に控える難曲のソロ演奏に備え、
大岡が小休止に入った。
その間、植村が軽妙な語り口で
ベルリンでのエピソードを披露する。
彼らの充実した日常の一端が見え隠れする。




静寂を切り裂くように
大岡のヴァイオリンが鳴りだした。
作曲家がわずか6分ほどの楽章に込めた情念が、
まるで 弓に乗り移り、絃を震わせているようだ。
無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ニ短調作品27-3「バラード」/ イザイ作曲




そしてふたたび2台のヴァイオリンがならんだ。
3台以上の楽器で演奏するときは、相補いあうことができるが、
2台での演奏は、一人ひとりの音がそのまま素直につたわるので、
二人の高度な集中力が必要だと、演奏のあと植村がつぶやいていた。
そう言いながらも、彼らは、実に見事に息を合わせ、
お互いにとても楽しそうにヴァイオリンを響かせる。
その楽しさが聴衆にも素直につたわってくる。
2台のヴァイオリンのためのソナタ ハ長調作品56/ プロコフィエフ作曲



鳴りやまない拍手に応えて、
2曲のアンコールを弾いたあと、
それぞれの弓を置いた。







20代の彼らの紡ぎだす響きには、
若い力強さが根底にある。






そして、お互いの奇遇を生かし、
真摯に学びあう姿勢は 響きの大きな成長をも予感させる。







若い力強さに加え、
共に学ぶ中で培われた美しい「ベルリンの響き」は、
聴衆の記憶に永くとどまるに違いない と思った。
そして、曇りのない彼らの笑顔の向こうに、
これからの日本の音楽界を担う才能を 垣間見たような気がした。






平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近











2014年4月26日土曜日

平河町ミュージックス第26回 加藤訓子 CANTUS を聴いた

公演前日と当日の午後
加藤訓子が、マリンバと
加藤自身があらかじめ演奏録音した音源との
響きを合わせていた。


開演
マレットが鍵盤に触れた瞬間から、
一気にバッハの世界に引き込まれる。
バッハ平均律クラヴィーア曲第一番ハ長調BWV846より-前奏曲

マリンバ6台のためにスティーブ・ライヒが作曲したアンサンブル曲を、
加藤が録音音源にライブソロをかさねるようにアレンジした作品。
鍵盤からはじき出される音の粒々がつながり、流れるような旋律になる。
シックスマリンバ・カウンターポイント/ スティーブ・ライヒ作曲/加藤訓子編曲

ふたたびバッハの響きが空間を満たす。
バッハ無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007より前奏曲

小気味の良い短音の連打のなかに、やがて美しいメロディーが加わる。
さらに、パートごとにマレットが持ちかえられ、音の色が移ろいでいく。
加藤の踊るような、しなやかな動きのなかから打ち出される一打一打が正確に音を刻む。
ニューヨーク・カウンターポイント/ スティーブ・ライヒ作曲/加藤訓子編曲

おだやかな語り口で、
スティーブ・ライヒとアルヴォ・ペルトの音楽について語る。

静寂を破るかのように、鐘の音が曲の始まりを告げる。
鍵盤の表裏を2本のマレットで挟み、
上下に震えるように打ち鳴らされた重厚な響きが幾重にも重ねられ、
まるでオルガンのような荘厳さを放つ。
鳥肌が立った。
カントゥス・ベンジャミンブリテンの思い出に/ アルヴォ・ペルト作曲/加藤訓子編曲

マリンバの柔らかな響きが空間を支配した。
空気に重さを感じるような、コラール。
パールグラウンド/ ハイウェル・ディヴィス作曲
 
加藤は、アルヴォ・ペルトの作品について、
「現代の作曲家の作品の中でも究極にシンプルで美しく、
哀しくまた優しい荘厳な音の世界をもつ」と述べている。
その中でも最も美しい曲に聴衆が酔う。
鏡の中の鏡/ アルヴォ・ペルト作曲/加藤訓子編曲

アンコールにこたえて、バッハのコラールを演奏したあと、
マレットを静かに置いた。
マリンバの響きに電気音響がどのように絡み合うのか
その響きのなかに身を置くまでは想像し得なかったが、
響きの坩堝の中は、とても自然で心地よく、
あたらしいアコースティックの世界を垣間見たような感動を覚えた。

加藤が綴った当日の演奏プログラムからは、
その明晰な文面だけでなく、行間から、音楽に対する真摯な姿勢が滲み出ている。
輝かしい経歴と、卓越した才能にあふれ、パーカッショニストとして世界的な評価を受けながら、
あたらしい音楽の創造に余念のない加藤の笑顔の向こうに、
うねるような響きの余韻が重なった。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近