2011年4月15日金曜日

平河町ミュージックス4月8日:刻みながら、包まれながら。

日常の中に音楽があり、音楽の中に日常がある。そのあたりまえのような事実をあらためて噛みしめることができたこの日。稲野珠緒さんをはじめとする4人の打楽器奏者とギターの辻さんは、さまざまな家具が置かれるロゴバという空間の見えない部分を切り出してみせた。日常的な風景をさらりと日常的に扱うかのように見せかけながら、気がつけば眼の前の机はステージに貌を変え、階段は梯子となって天に延び、床とキリムは緊張感をはらんで輝きはじめる。そうした転回する風景のなかから隠れていたリズムとハーモニーを掬い出し整えたのは、稲野さんたちの見事な技だったのか、ジョン・ケージや高橋悠治さんたち作曲家の鋭い耳であったのか、それともその場にいる観客の身体であったのか。

そのようにして人が協働してつくりだした新たな価値は、日常を少しばかり刺激し、甘美な香りを残していった。どこにも甘いメロディなんてないけれど、いや、ないからこそ生まれた特別な物語。日常のなかに非日常というものが姿を現わしたということがわかる。でも、考えてみれば日常とは非日常の連続に他ならないものであった。だからこそ、日常をきちんと生き、耳を澄ますことの大事さを想う。音楽が指し示す意味には重いものがある。

平河町ミュージックス実行委員長 佐野吉彦

2011年4月9日土曜日

平河町ミュージックス第8回公演 稲野珠緒  打つ“うた”、叩く“うた” を聴いた


木片を打ち鳴らしながら、






稲野珠緒、斎藤祥子、久米彩音、角銅真実が

中二階に架けられた階段に並んだ。

スティーヴ・ライヒの「木片の音楽」が

白い空間を小刻みに揺らす。

中二階の上からリズムが降る「ピアノ・フェイズ」のあと、

大きなテーブルに向かい合った稲野たちが、

手のひらを、打ち、叩く。

ティエリー・メイの文字通り「テーブル・ミュージック」。


日常の手のひらのしぐさから音楽が生まれる。



辻邦博のギターが加わる。

ルー・ハリソンの「ギターの為の作品集」を

弾き終えた辻が語る。

「演奏することはふつうのこと。

今の日本は震災でふつうを無くしている。

ふつうに演奏することで、ふつうを取り戻したい。」

その言葉は、ギターの余韻に重なり、聴衆の心に沁み入った。


4人の打楽器奏者の織りなす響きが、空気を変える。

ルー・ハリソンとジョン・ケージの共作による

「ダブル・ミュージック」は

多種多様な楽器からはじき出される

小気味の良いリズムが、空間に踊る。



ジョンケージの「リビング・ルーム・ミュージック」は圧巻だ。

テーブルに並んだ、カップや、フライパン、

洗濯物のたぐいまでが、

稲野たちの手で楽器に変わっていく。


続く渡邉達弘の「窓の外の色」も日常から生まれた美しい楽曲。




打楽器デュオのために書かれた「mander obedeciendo」は、

高橋悠治が

「それぞれの音色が混合せず交錯するアフリカ的合奏のかたち」

と記すように、情熱的な響き。




そして、ニコラウス・A・フーバー「クラッシュ・ミュージック」で

稲野が締めくくった。






それにしても、稲野の笑顔は素敵だ。
激しく楽器を叩くときも、強く打つときも、

稲野は体全体で楽しみ、笑みを浮かべる。

打つ、叩き、リズムを刻むことは、

ひとが古来持っている楽しみの一つ。

それを音楽に創り上げる稲野とその仲間たちから、

楽しさが美しい響きとともに伝わってくる。


今日は、元気をもらった。








平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近