2014年9月20日土曜日

平河町ミュージックス第28回 荒井英治 無伴奏ヴァイオリンの夕べ を聴いた

公演当日の昼下がり
ヴァイオリニスト荒井英治が絃の響きを確かめていた。
同伴した奥様と穏やかな会話を交わしながらも、
自身と向き合うように、集中していた。






開演
弓が絃の上をはしり、ゆるやかな音からはじまった旋律は
やがて、渦をまくような音の数々で空間を支配した。
荒井の言葉を借りれば、ヴァイオリンの持てる響きを駆使して
「客観性の中に狂気が垣間見える世界」が展開される。
エサ=ペッカ・サロネン作曲:Lachen verlernt(2002)








荒井が中二階に消えた。
天上から舞い降りる音を聴衆が息をひそめて聴き入る。
ひとを圧倒する響きではなく、民族楽器に立ち返る訳でもなく、
しかし、なにか、ひとの思いを伝えようしているかのような不思議な音たち。
客席で作曲家高橋悠治も その音たちを追いかけていた。
高橋悠治作曲:慈善と病院の白い病室で私が version A(1989)






中二階から戻った荒井のヴァイオリンが激しく唸りだす。
「不特定多数に向けての音楽の伝達ではなく、
個人から個人に伝えられる内面的な、人の本能を揺さぶる旋律」
と荒井はプログラムに記している。
そして、その響きの中に自身を投じて、深い音の世界で、
荒井は作曲家と向き合っているように見えた。
クルターク・ジェルジュ作曲:サイン、ゲーム、メッセージ(1987~2004)より






幕間のあと。
難解な曲目解説とは裏腹に、
荒井の絃が弾きだす響きが、
伸びやかに、うねり、自在に空間を飛び交う。
まるで、なにかを語りかけているように。
演奏を終えた荒井からの拍手に、高橋悠治が満面の笑みで応えた。
高橋悠治作曲:「狂句逆転」(柴田南雄「歌仙一巻」no.59による)(2014)≪初演≫




弓をおいて、ヴァイオリンを指でかき鳴らしはじめた。
ユン・イサンの音は、「血肉化された人間の声そのもの」と言う荒井は、
装飾として加えられた音を切り分け、音の本質に迫ろうとしているのか。
荒井は何かにとりつかれたように、全身で弓を操り、絃を震わせる。
音で何を伝えるのか、他者とのかかわりの中での音楽の意味を
自身の演奏の中で、探し続けているようだ。
ユン・イサン作曲:コントラステ (1987)





さいごに、
美しいバロックの小品をアンコール曲に加え、
弓を置いた。







 「気安く音楽が手に入り、なんの抵抗もなく享受される日常の中で、
音は何のためにあるのか?音楽は何がどれだけ必要なのか?」
プログラムに記されたおびただしい荒井の文章の行間には
何が込められているのだろう。






そして、演奏家として日常的に音楽に囲まれながら、
荒井の見つめる先には何が見えているのだろう。
荒井のヴァイオリンから湧き上がる響きに圧倒されながら、
その深い思索と 音 の間を揺れ動いていたひとときであった。





平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近







2014年7月19日土曜日

平河町ミュージックス第27回 大岡仁&植村太郎  ベルリンの響き  を聴いた

公演の前々日、
ベルリンから一時帰国した大岡仁と植村太郎が、
お互いの響きを丁寧に確かめ合っていた。
それは昼下がりから夕方まで、5時間余にも及んだ。





開演、
ヴァイオリンの絃に弓が触れた瞬間、
二人がベルリンから持ち帰った響きが、
一気に空間にひろがり、聴衆を包み込んだ。
6つのカノンソナタ/ テレマン作曲




二人は関西と名古屋で生まれ、
各々、国内外の大きなコンクールで優勝を経験し、
その場面や勉強会で幾度と出会い、
そして、いま偶然にもベルリンの空の下、
それぞれ目と鼻の先に住んでいる。
二人が、その奇遇について語った。





2台のヴァイオリンがふたたび響きはじめる。
彼らはリハーサルで、
スコアの解釈について何度も語り合い、
微調整を加えていた。
その積み重ねが つややかな響き となって現れる。
2台のヴァイオリンのためのデュオ ニ長調作品67-2/ シュポア作曲


次に控える難曲のソロ演奏に備え、
大岡が小休止に入った。
その間、植村が軽妙な語り口で
ベルリンでのエピソードを披露する。
彼らの充実した日常の一端が見え隠れする。




静寂を切り裂くように
大岡のヴァイオリンが鳴りだした。
作曲家がわずか6分ほどの楽章に込めた情念が、
まるで 弓に乗り移り、絃を震わせているようだ。
無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ニ短調作品27-3「バラード」/ イザイ作曲




そしてふたたび2台のヴァイオリンがならんだ。
3台以上の楽器で演奏するときは、相補いあうことができるが、
2台での演奏は、一人ひとりの音がそのまま素直につたわるので、
二人の高度な集中力が必要だと、演奏のあと植村がつぶやいていた。
そう言いながらも、彼らは、実に見事に息を合わせ、
お互いにとても楽しそうにヴァイオリンを響かせる。
その楽しさが聴衆にも素直につたわってくる。
2台のヴァイオリンのためのソナタ ハ長調作品56/ プロコフィエフ作曲



鳴りやまない拍手に応えて、
2曲のアンコールを弾いたあと、
それぞれの弓を置いた。







20代の彼らの紡ぎだす響きには、
若い力強さが根底にある。






そして、お互いの奇遇を生かし、
真摯に学びあう姿勢は 響きの大きな成長をも予感させる。







若い力強さに加え、
共に学ぶ中で培われた美しい「ベルリンの響き」は、
聴衆の記憶に永くとどまるに違いない と思った。
そして、曇りのない彼らの笑顔の向こうに、
これからの日本の音楽界を担う才能を 垣間見たような気がした。






平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近











2014年4月26日土曜日

平河町ミュージックス第26回 加藤訓子 CANTUS を聴いた

公演前日と当日の午後
加藤訓子が、マリンバと
加藤自身があらかじめ演奏録音した音源との
響きを合わせていた。


開演
マレットが鍵盤に触れた瞬間から、
一気にバッハの世界に引き込まれる。
バッハ平均律クラヴィーア曲第一番ハ長調BWV846より-前奏曲

マリンバ6台のためにスティーブ・ライヒが作曲したアンサンブル曲を、
加藤が録音音源にライブソロをかさねるようにアレンジした作品。
鍵盤からはじき出される音の粒々がつながり、流れるような旋律になる。
シックスマリンバ・カウンターポイント/ スティーブ・ライヒ作曲/加藤訓子編曲

ふたたびバッハの響きが空間を満たす。
バッハ無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007より前奏曲

小気味の良い短音の連打のなかに、やがて美しいメロディーが加わる。
さらに、パートごとにマレットが持ちかえられ、音の色が移ろいでいく。
加藤の踊るような、しなやかな動きのなかから打ち出される一打一打が正確に音を刻む。
ニューヨーク・カウンターポイント/ スティーブ・ライヒ作曲/加藤訓子編曲

おだやかな語り口で、
スティーブ・ライヒとアルヴォ・ペルトの音楽について語る。

静寂を破るかのように、鐘の音が曲の始まりを告げる。
鍵盤の表裏を2本のマレットで挟み、
上下に震えるように打ち鳴らされた重厚な響きが幾重にも重ねられ、
まるでオルガンのような荘厳さを放つ。
鳥肌が立った。
カントゥス・ベンジャミンブリテンの思い出に/ アルヴォ・ペルト作曲/加藤訓子編曲

マリンバの柔らかな響きが空間を支配した。
空気に重さを感じるような、コラール。
パールグラウンド/ ハイウェル・ディヴィス作曲
 
加藤は、アルヴォ・ペルトの作品について、
「現代の作曲家の作品の中でも究極にシンプルで美しく、
哀しくまた優しい荘厳な音の世界をもつ」と述べている。
その中でも最も美しい曲に聴衆が酔う。
鏡の中の鏡/ アルヴォ・ペルト作曲/加藤訓子編曲

アンコールにこたえて、バッハのコラールを演奏したあと、
マレットを静かに置いた。
マリンバの響きに電気音響がどのように絡み合うのか
その響きのなかに身を置くまでは想像し得なかったが、
響きの坩堝の中は、とても自然で心地よく、
あたらしいアコースティックの世界を垣間見たような感動を覚えた。

加藤が綴った当日の演奏プログラムからは、
その明晰な文面だけでなく、行間から、音楽に対する真摯な姿勢が滲み出ている。
輝かしい経歴と、卓越した才能にあふれ、パーカッショニストとして世界的な評価を受けながら、
あたらしい音楽の創造に余念のない加藤の笑顔の向こうに、
うねるような響きの余韻が重なった。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近











2014年3月29日土曜日

平河町ミュージックス第25回 山路みほ「山路みほ箏曲リサイタル」 を聴いた

公演当日の午後
箏曲演奏家山路みほが、尺八奏者ボンダルチュク・バヴェルと、
それぞれの音を確かめた。






開演
白い空間の片隅に活けられた七分咲きのさくらの花とともに、
箏の凛とした響きが春の訪れを告げる。
「2つの変奏曲」より「さくらさくら」 / 沢井忠夫 作曲





山路が昨年モスクワ音楽院で指導と演奏活動を行った際の
尺八の学生であったボンダルチュク・バヴェルを紹介。
ロシアではこの20年来、日本の伝統音楽を学ぶ学生が多く、
その感覚と才能は、日本人とは異なる厚みと深さを持っているという。





そのふたりが箏と尺八に向き合う。
江戸時代のはじめに流れていた旋律ながら、
曲名が暗示するように、リズムやテンポが変容し、
斬新な音の構成からなる旋律は、
全箏曲中の白眉とも言える高い芸術性をもつと山路が語っている。
みだれ/ 八橋検校 作曲




YouTubeでさまざまな音楽情報に触れている
モスクワ音楽院の学生達にもっとも人気のあった箏曲。
箏の弦のはじける音色と20余年前に作曲された現代的な旋律に
聴衆が引き込まれる。
風にきけ PartⅡ/ 吉崎克彦 作曲




山路は平河町ミュージックス第1回公演にも出演した
箏曲演奏家の第一人者沢井一恵に師事している。
山路は、自身のCD作品のとなりに沢井のCDも並べた。
師匠への想いが伝わる。





休憩の後、
宮城道雄の世界がひろがった。
変幻自在に弦をはじく山路の指先に聴衆が見入る。
数え唄変奏曲/ 宮城道雄 作曲





江戸後期の遊女のはかない希望に生きる女の哀愁を
山路が三味線で弾き語る。
江戸のゆったりした唄の背景に、
平河町を慌ただしく行きかう人々や車がガラス越しに見える。
江戸と今いまの時間が交錯する。
揖枕/ 菊岡検校 作曲






16年前、山路は沢井一恵の演奏するこの曲に感動し、
沢井に師事することを決めた。
運命の出会いを引き寄せたこの曲は、
山路の運命への讃歌なのかも知れない。
讃歌/ 沢井忠夫 作曲






アンコールにこたえ、箏と尺八による小品を演奏。
余韻を残しながら、幕を閉じた。






山路は国内での演奏、教育活動にとどまらず、
文化庁文化交流使として、ロシアをはじめ
世界に邦楽を伝えひろげる活動にもかかわってきた。
さらには邦楽の枠を超えた活動にも取り組むなど、
その旺盛な創作エネルギーが笑顔からもこぼれる。





オーケストラのように多くの音をかさねて
音の厚みを求める西洋音楽にくらべて、
日本の音楽は、まったく逆に、
必要最小限の少ない音のみで表現をする音楽だと、
山路は記している。
虚飾をそぎ落とすことを好む日本人の感性にあう箏の音色が、
江戸から現代にかけてつくられた旋律をともなって、
聴衆の琴線に深く沁み入ったひとときであった。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近











2013年12月7日土曜日

平河町ミュージックス第24回 溝入敬三「山椒魚は悲しんだ。コントラバスも悲しんだ。~井伏鱒二が亡くなって20年らしい~」 を聴いた

公演当日の夕刻。
溝入敬三がコントラバスを持ちこんだ。
たった一つのコントラバスだけで、
どのような世界を創ろうというのか。
・・・期待が高まる。

開演。
「大きいけれど重さは15㎏しかない。
ベースとコントラバスは同じもの。」
軽妙でユーモアにあふれる語りからはじまり、
いつの間にか聴衆は、溝入の世界に引き込まれていた。

コントラバス奏者の甲斐のなさ、哀愁を
ユーモアに包んで歌い出した。
歌と、溝入の表情が、聴衆の笑みを誘う。
むなしい人間の努力の唄 / クルト・ワイル作曲、溝入敬三作詞
小吉の夢 / 溝入敬三作詞・作曲

指で弾くピッツィカートと、弓で弾くアルコの2曲からなる作品。
作曲家がニューヨーク滞在中に通っていたジャズの匂いがする。
IN&OUT / パスカル・デュサパン作曲



わっっはっっはっっはぁぁぁ。

大きな笑い声ではじまった。
コントラバスの安定した響きに重ねて、
時に情熱的に、時にしみじみと歌いあげる溝入の所作の向こうに、
怪盗と名探偵の場面が、臨場感を伴ってイメージできる。
怪盗キクノロと名探偵アキチくん / 溝入敬三作詞・作曲

休憩のあと
山椒魚の大作。
岩穴の中で暮らすうちに、体が大きくなって
外に出られなくなった山椒魚の物語。
溝入の創りだす響きと、歌がもたらす情景を
眺め聴いているうちに、
色々なしがらみにしばられて、穴の外をうらやむ
自分自身のことのように思えてくる。
山椒魚 / 井伏鱒二原作、溝入敬三作曲

用意していたアンコール曲と
さらに小品を演奏して、
溝入は余韻のなかに弓をおいた。






たったひとつのコントラバスと、笑いをさそうユーモアまじりの絶妙な語り、悲哀をこめた歌声が重なり合う時、小説を読む時のように、情景がそれぞれの聴衆の脳裏に浮かびあがり、一方的に音楽の演奏を見聴きする時よりも、自身の想像力による情景が加わる分、より豊かな音楽のちからを感じることができた。


ひとつのコントラバスと語りと歌声が創り出す溝入の世界に
聴衆は山椒魚のように幽閉されて、
その心地良さに包まれたひとときであった。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近