ヴァイオリニスト荒井英治が絃の響きを確かめていた。
同伴した奥様と穏やかな会話を交わしながらも、
自身と向き合うように、集中していた。
弓が絃の上をはしり、ゆるやかな音からはじまった旋律は
やがて、渦をまくような音の数々で空間を支配した。
荒井の言葉を借りれば、ヴァイオリンの持てる響きを駆使して
「客観性の中に狂気が垣間見える世界」が展開される。
エサ=ペッカ・サロネン作曲:Lachen verlernt(2002)
天上から舞い降りる音を聴衆が息をひそめて聴き入る。
ひとを圧倒する響きではなく、民族楽器に立ち返る訳でもなく、
しかし、なにか、ひとの思いを伝えようしているかのような不思議な音たち。
客席で作曲家高橋悠治も その音たちを追いかけていた。
高橋悠治作曲:慈善と病院の白い病室で私が version A(1989)
「不特定多数に向けての音楽の伝達ではなく、
個人から個人に伝えられる内面的な、人の本能を揺さぶる旋律」
と荒井はプログラムに記している。
そして、その響きの中に自身を投じて、深い音の世界で、
荒井は作曲家と向き合っているように見えた。
クルターク・ジェルジュ作曲:サイン、ゲーム、メッセージ(1987~2004)より
難解な曲目解説とは裏腹に、
荒井の絃が弾きだす響きが、
伸びやかに、うねり、自在に空間を飛び交う。
まるで、なにかを語りかけているように。
演奏を終えた荒井からの拍手に、高橋悠治が満面の笑みで応えた。
高橋悠治作曲:「狂句逆転」(柴田南雄「歌仙一巻」no.59による)(2014)≪初演≫
弓をおいて、ヴァイオリンを指でかき鳴らしはじめた。
ユン・イサンの音は、「血肉化された人間の声そのもの」と言う荒井は、
装飾として加えられた音を切り分け、音の本質に迫ろうとしているのか。
荒井は何かにとりつかれたように、全身で弓を操り、絃を震わせる。
音で何を伝えるのか、他者とのかかわりの中での音楽の意味を
自身の演奏の中で、探し続けているようだ。
ユン・イサン作曲:コントラステ (1987)
美しいバロックの小品をアンコール曲に加え、
弓を置いた。
音は何のためにあるのか?音楽は何がどれだけ必要なのか?」
プログラムに記されたおびただしい荒井の文章の行間には
何が込められているのだろう。
荒井の見つめる先には何が見えているのだろう。
荒井のヴァイオリンから湧き上がる響きに圧倒されながら、
その深い思索と 音 の間を揺れ動いていたひとときであった。
平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ 木村佐近
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