2010年7月17日土曜日
第3回を終えて(3)
プログラムをつくるとき、
前半と後半と、コントラストをつけよう、と考えていました。
前半は親しみやすく、
また、二つの楽器が「一緒」に演奏する、
「共演」のありよう、
息のあわせ、
というのが提示できれば、というのがあり、
一方、後半は、
高橋悠治作品のみにすることで、
ひとつの独特な空気をつくり、
音楽の聴き方が自然と変わってくるようなものになるといい、
というのがあったのです。
特殊な奏法、変わったひびきが駆使されるものではなく、
ちょっとした、微妙なひびきが、時のながれとともに感じられるような、
また、
音楽による「ドラマ」や「物語」ではない、
音楽による語り、語りかけの状態にふれてほしい、
とでも言ったらいいでしょうか。
二人の音楽家も、「あわせる」のではない、
そこでもうひとりが弾いているのを感じながら、
自分のやることをやり、そうした「あいだ」で音楽が生まれてくる。
そうしたこともありうる、と。
聴き手の方々のみならず、
コンサートにかかわっているスタッフの方々も、
こうした音楽のありようは馴染んでいない、
ちょっと不思議な印象を抱かれた、
かもしれません。
建物を設計する、家具をひとつの空間のなかに配置する、
そうしたお仕事をされている方々が、
音楽の、いろいろなありように気づいてくれたりすることも、
クリエイティヴィティというところ、
世界に何か新しいものをつくりだすというところにおいて、
何か刺激になっているのではないか、
などと考えるのは、勝手なおもいこみかもしれませんが。
平河町ミュージックス実行委員 小沼純一
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