石川高が
笙と向き合っていた。
17本の竹の根元に付いている金属リードに
クジャク石の粉を塗り、
微妙な音の違いをなおす。
開演
石川の笙に
中村仁美の篳篥(ひちりき)が加わる。
白い空間が
神が舞い降りたかのような
神々しいい響きに包まれる。
唐楽「太食調調子、合歓塩(がっかえん)」
正倉院に眠る楽器「竿(う)」の音が甦る。
笙よりも低く小さな音で空間が満たされる
音を聴くというより、静けさを聴いているような
うつくしい調べに
聴衆は、息をひそめた。
正倉院復元楽器「竿(う)」による即興
笙は、吐く息と、吸う息の全てを音に変え、
継ぎ目なく鳴りつづける。
石川は笙を置き、
その息を声に変えた。
笙を通さずとも、その伸びやかな歌声が、
朗々と響く。
朗詠「花上苑(はなじょうえん)」
息が結露しないように、
笙を温めながら、
石川が曲を紹介する。
「笙には、古代紀元前の調律法がつかわれている。
その調律法をもちいて
つくられた現代の旋律がある。」と。
藤枝守:「植物文様 第17集 pattern C」
後半、
石川との即興のあと、
中村仁美が語った。
篳篥(ひちりき)は、
竹筒と「ヨシ」でできたリードからなり、
唯一、淀川河川敷「鵜殿ヨシ原」に原生する「ヨシ」が
使われる。
この「ヨシ原」を横断する高速道路計画があり、
「ヨシ」を守る運動に参加していることを。
篳篥と笙による即興
万葉集を彷彿とさせる現代詩に
石川が曲を付け、
古代の神楽歌にある歌い方で
うたう。
寮美千子(詩作):「ぬなかわの」
石川が
中二階に消えた。
笙の響きが天空から降りてくる。
石川 高:「きざし」
ふたたび、
石川と中村が並んだ。
儀式では、退場の音楽として奏でられる
荘厳な響きが
最後の曲となり、
さらにアンコール曲で、
響きを締めくくった。
唐楽「長慶子(ちょうげいし)」
笙と篳篥の音色は、
古代から、神々にささげられ、
その響きに、神の気配を感じるのは、
日本人に刷り込まれた音の記憶なのかも知れない。
石川が中村と奏でる古典と現代の響きは、
神々の記憶だけでなく、
あたらしい気配を運んできた。
この響きは、
日本人の記憶に、あたらしさを加えながら、
永く生き続けるに違いないと思った。
平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ 木村佐近
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