公演当日の朝
会場に貸ピアノが運びこまれた。
昼までに調律を済ませ、
午後には、楠本由紀がピアノの前に座る。
そして夕刻
荒井英治がヴァイオリンと共に現れ、
楠本のピアノに念入りに音を重ねていく。
開演
楠本の指が鍵盤に触れ、
聴きなれたバッハの平均律が空間を一気に染める。
開演前に、楠本は満身創痍の貸ピアノの音に不安を漏らしていたが、
その音は澄みわたり美しく響いた。
J・S・バッハ / 平均律クラヴィーア集から
プレリュード BWV 846
プレリュードとフーガ BWV 847、 BWV 866、BWV
867、BWV 884
穏やかなバッハの旋律から一変して
不安げな響きを秘めた小品に変わる。
A・シュニトケ / ピアノのための8つの小品
休憩のあと、
楠本に続き、ヴァイオリンを抱えた荒井が登場する。
が、楠本に誘われるように、ヴァイオリンを椅子に置き、
楠本と並んでピアノの前に座る。
20本の指が軽快な音をはじき出す。
A・シュニトケ / ピアノ4手のためのソナチネ
荒井が語りだした。
「時代の先端を行く偉大な芸術家は それまで培われてきた歴史を根底に据えながら新しいものを創り出したように、シュニトケもまた既存の音楽と対峙しながら新しい音を創り出した。
楠本は、東京フィルハーモニー時代に、オーケストラの一員で音楽を作り出す能力と経験をそなえたピアニストとして旧知の仲であり、その彼女から久々に連絡があり、「シュニトケをやりませんか?」と誘いをうけた。
柔和な彼女とシュニトケのイメージが結びつかず、「人は見かけによらないもだ。」とたいへん驚いたが、人前でシュニトケをソロで弾いたことが無かったこともあり、いい機会であると考え共演することになった。」
荒井が言う「シュニトケのなかでも最も過激な曲」 がはじまる。
空間を引き裂くようなヴァイオリンとピアノの叫び。
ガラス越しに見える ひとや車 が行き交ういつもの風景から、
狂気に似た響きがみなぎる室内の時空が少しずつずれていくような不可思議な感覚に囚われる。
シュニトケはコンサートホールで客観的に接するより、
奏者の傍に身を置き、その響きにどっぷり飲み込まれたほうが感受できるものが大きいのかも知れない。
A・シュニトケ / ヴァイオリン・ソナタ第2番「ソナタもどき」
狂気の旋律と同じ作曲家であると思えないほどの優雅なロンドがはじまる。
が楠本によると通常のロンド形式に縛られない独自のスタイルになっているという。
A・シュニトケ / ヴァイオリンとピアノのための祝賀ロンド
楠本が語る
「日本で演奏されることは まだまだ少ないが
シュニトケは様々な側面を持っていることを素直に感じていただけたのではないか。
アンコール曲は シュニトケのきよしこの夜。
クリスマスはキリストの誕生を祝うだけでなく、その後の苦難を予感させるもの。
よろこびだけでなく病魔に苦しみ厳しい試練も感じさせるシュニトケらしい曲である」と。
日常的に一流演奏家として音楽に向き合うなかで、
楠本と荒井が、なぜ バッハとシュニトケを対峙して奏でたのか?
古典的な音楽にとどまるだけでなく、常に疑問を投げかけ、
そこから生まれる新しい様相を引き出そうとしているのか?・・・
ピアノとヴァイオリンから繰り出される美しさと狂気にも似た圧倒的な響きを、
全身に受けながら、
遠くを見つめ、いつもと違う感じ方をしている自分がいた。
平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ 木村佐近
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